先日の続きとなります。
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自分より他人を重んじた考えは素敵だけどやり過ぎると見失う
前回の記事の続きです。 そんなウマの合わない友人を大切にしていた私。 それが20代の全てだったともいえます。 その頃の私は自分を底辺に捉え、他人を常に上にした考え方をしようと思っておりました。 今でもこの考えは若干残っておりますが、要は底辺...
お金や資産を人のために使い続けた結果、私の周りには「お金と資産に興味ない輩」だけが残りました。
飲み会では人の悪口で盛り上がり、お代は私が払って楽しんでおりましたね。
で、前回さすがにそんな生活を何年もしているとおかしいとバカな自分でも気づき、そういう輩との付き合いを控えました。
するとそいつらは「あいつ付き合い悪くなった」とかここには書けないくらいの悪い噂を流しはじめたのです。
本当、この時「金の切れめが縁の切れめ」という事を実感した次第です。
私はそんな悪い噂は放置して、そんな悪い噂も信じない昔から私を良く知る友人らと本当の友人として付き合いを改めました。
おかげで、ファッションもストリート系を着ても皆「らしくなったな」と言ってくれて誰もダサいなんて言いません。
ファッションというのは人それぞれ。
生まれやその生きた世代のカルチャー文化、音楽など影響されたものが具現化されているのです。
だから人それぞれが違う。
オタクな人がアニメTシャツとか着てるのもそのオタクの人が影響を受けた文化なのだから、それを貫いていてかっこいいと私は思う。
人をダサいという人が一番ダサい。
ファッションは自由だ。
そして人生は一度きり。
嫌なことからは逃げたっていい。
立ち向かったっていい。
どれを選ぶのもあなた次第だ。
無理もしていい。
ただ我慢はしないで欲しい。
嫌なことを我慢して続けるのが一番良くない。
無理をするのとニュアンスは似てるが全然違う。
好きなことを体力限界まで無理をしてやるのと本当に嫌なことを我慢しつづけるのは天と地の差がある。
その違いに気づいて。
誰に否定されようが自分のために。
自分の好きのために。
一生懸命生きよう。